■本来あるべき永久歯のない子が増えている
3歳くらいで完成するといわれる乳歯の歯並び。乳歯がすべて生えそろうと、口の中には20本の歯が並ぶことになります。それが6歳から12歳くらいにかけてあごの成長とともに永久歯へと生えかわり、親知らずを除くと28本の歯並びに。永久歯に生えかわるスピードには個人差があるため、人より1~2年遅くても早くても心配無用ですが、乳歯がいつまでも残っている場合は注意が必要です。
●歯の並び方と名称
というのも乳歯は、あごの骨の中で育ってくる永久歯の歯胚(しはい/永久歯の芽)に押されるかたちで歯の根が吸収されて短くなり、やがて抜け落ちるため。つまり、いつまでも乳歯が残っているということは、乳歯の下に本来あるべき永久歯がない可能性があるわけです。このように、永久歯が生まれながらにない場合を「先天性欠如」といいます。
ヨーロッパ矯正歯科学会が2006年に調べたところ、この先天性欠如は近年増加傾向にあるという結果が出ています。
■前から2番目・5番目の永久歯が足りないケースが多い
では、どのくらいの子どもに先天性欠如があるのでしょうか。
日本小児歯科学会が2007~2008年にかけて行った全国調査「永久歯先天欠如の発生頻度に関する調査研究」をみると、歯科を受診した7歳以上の子ども1万5,544人(男子7,502名、女子8,042名)のうち、乳歯の先天性欠如があったのは75人(0.5%)、永久歯の先天性欠如があったのは1,568人(10.1%)となっています。
また、永久歯の先天性欠如は男子(9.1%)より女子(11.0%)がわずかに多く、上あごだけに欠如がある場合は2.5%、下あごだけにある場合は5.7%、上下のあご両方にある場合は1.9%。歯の種類別では、前から5番目(第2小臼歯)と前から2番目(側切歯)の欠如が多いという結果が出ています。
■放置すると歯並びが崩れる要因に
永久歯が先天的に欠如していると、大人になっても永久歯が生えるべき場所に乳歯が残ったままになります。
乳歯が残っても、咬み合わせとして機能する分には問題ありませんが、乳歯は永久歯よりエナメル質や象牙質が薄く、歯の根も短いため、残念ながらあまり長持ちはせず、二十歳前後で抜けてしまうことも少なくありません。
そして、抜けた後そのままにしていると、周辺の歯が動いたり倒れこんだりして、歯並びや咬み合わせを崩す要因となってしまうのです。それだけでなく、あごの成長に悪影響を与えたり、顎関節症などにつながったりする可能性も。また、前歯の隙間や乳歯の見た目を気にして社会生活に消極的になるなど、心理面での影響も見逃せません。
先天性欠如歯の本数は、1~2本のことが多いものの、まれに10本以上欠如する場合もあります。そうなる原因として遺伝や全身疾患、薬の副作用などが影響しているのではないかと考えられていますが、現状でははっきり解明されていません。
さて、あなたのお子さんの歯は大丈夫でしょうか? この機会に、ぜひチェックしてみましょう。
★次のページでは、先天性欠如の有無を見分ける方法と、その後の対処法などについてご紹介!
ご存じですか?10人に1人の子どもに”足りない歯”があるってこと
■まずは7歳までにパノラマエックス線写真で確認を
国内最大の矯正歯科専門開業医の団体である公益社団法人 日本臨床矯正歯科医会(以下、矯正歯科医会)では、永久歯の先天性欠如の有無を確認するための方法として、7歳までに歯科医院(一般歯科、矯正歯科)を受診し、あごの骨全体を撮影できるパノラマエックス線写真(口の中全体を1枚のエックス線写真で撮影する方法)で確認するよう提案しています。
一般的に、子どもに対するパノラマエックス線写真は健康保険の対象外となることが多く、その場合、撮影するには3,000~5,000円ほど費用がかかりますが、これを撮ることで生えかわりが順調に進んでいるか、あごの骨の中に異常がないかなど、口の中全体の歯や骨の状態がわかり、お子さんの歯の生えかわりを予測・観察しながら歯を健康に保つのに役立ちます。
もし、先天性欠如が見つかったら、歯科医院で治療に関する長期的な治療計画(対処法)を立ててもらいましょう。
考えられる計画としては、将来、矯正歯科治療で永久歯のない部分のスペースを閉じてしまう、乳歯をできるだけ長く使った後にブリッジやインプラントで永久歯のない部分を補う、あるいは両方をミックスする場合もあるでしょう。
また、治療計画と同時に、治療を行う最適な時期やその時期までの注意事項も、歯科の先生から教えてもらうことをおすすめします。
そのうえで、残っている乳歯を永久歯の代わりの歯として大切に使いながら、歯並びや咬み合わせに問題が生じないように管理を続けることが大切です。
残っている乳歯をできるだけ長持ちさせる
永久歯と比べて乳歯は、いったんむし歯になると進行しやすく、また歯の根も短いため、できるだけ長持ちさせるためには歯科医院で定期的にケアを受けることが大切です。
矯正歯科治療を行い、咬み合わせを安定させる
生えるべき永久歯がすべて生えたら、矯正歯科治療を受けて歯と歯の間のスペースを閉じ、よくかめる安定した咬み合わせをつくります。
また、残った乳歯を抜いて、そのスペースを矯正歯科治療で閉じてしまうこともあります。
矯正歯科治療+補綴歯科治療で咬み合わせを安定させる
乳歯がダメになったら、矯正歯科治療や補綴歯科治療(ほてつ/歯の代わりに人工の歯をつくって入れる治療)などを行い、咬み合わせを安定させることもできます。
※対処方法は年齢や歯の状態によって変わります。
■6本以上の先天性欠如なら、矯正歯科治療が保険適用に
矯正歯科治療とは、歯の位置やあごの骨を、ある程度の時間かけてゆっくりと変化させ、乱ぐい歯や受け口、上顎前突といった問題のある歯並びを治し、よくかめる、安定した咬み合わせをつくるものです。
この治療は一般的に自費診療ですが、実は、厚生労働省が定めた特定の症状に限って健康保険が適用されます。従来、口唇口蓋裂などの先天性異常と顎変形症のみが健康保険適用の対象でしたが、2年前の2013年度から、6本以上の先天性欠如歯がある場合、「指定自立支援医療機関(育成・更生医療)」の指定を受けている矯正歯科診療所あるいは病院での治療に限って、健康保険が適用されるようになりました。
6本以上の先天性欠如が健康保険の適用になったことで、これまで費用が高くて治療できずにいた人にとって、矯正歯科治療がぐっと身近になったわけです。
該当する診療所は、以下より探すことができます。
★矯正歯科を探すならここをチェック!
■先天性欠如の治療例を見てみよう
では、実際に先天性欠如を矯正歯科治療で治したケースを見てみましょう。
下の左5番(第2小臼歯)の永久歯1本が先天性欠如だった11歳のAさん(女性)。FKOという装置を併用して、下の左6番(第1大臼歯)のみを移動させ、空いたスペースを閉じていきました。
上の右2番(側切歯)1本が先天性欠如だった12歳のBさん(男性)。矯正歯科治療で将来の補綴歯科治療のためのスペースを確保し、歯列を整えた後に仮歯を装着。その後、あごの骨や歯ぐきが安定した24歳でインプラントを埋入して咬み合わせを完成させました。
どちらの方法にも一長一短があり、どの治療法が向くかは一概にはいえませんが、先天性欠如は、あごが成長する幼児期から適切にチェックしていくことがとても大切。ぜひ、7~9歳を目安に歯科医院を訪ね、生えかわりが順調かどうかをパノラマエックス線写真で確認してもらいましょう。
★次のページからは、実際に治療中の方にインタビュー!
ご存じですか?10人に1人の子どもに”足りない歯”があるってこと
- 永久歯が6本足りない先天性欠如で、6歳の頃から矯正歯科に通っているという川田さん。ブレースが取れた今も、年に3回は矯正歯科で歯のチェックを受けるという彼女に、これまでの治療と歯並びの大切さについてうかがいました。
矯正歯科で先天性欠如が発覚
もともと私の母が、大人になってから矯正治療を受けたんです。それで私の乳歯の生え方がおかしいことが気になったようで、小学校にあがってすぐに矯正歯科に連れて行かれました。エックス線写真で調べてもらったところ、上の左側1番(中切歯)と下の左側3番(犬歯)、そして上下の両側5番(第2小臼歯)の永久歯、計6本の永久歯がない状態でした。それがわかってからは3ヵ月に一度くらいのペースで矯正歯科に通って、歯の生えかわりの状態などをチェックしてもらっていましたね。
よく歯医者さんに行くのを怖がる人がいますけど、私の場合は、矯正歯科で痛い思いをすることはなかったので、歯科医院=コワイという感覚がまったくなくて(笑)。いつも習い事に行くような気分で通っていました。
二十歳まで乳歯を残すのが目標
実際に、矯正治療(第1期)が始まったのは、小学3年になってから。最初は、内側に引っ込んだ歯を表に出すために「リンガルアーチ」という装置を歯の裏側につけました。慣れるまでは痛みも少し気になりましたが、そういうときは先生がやさしく声をかけてくださったり、矯正治療の経験者である母が、やわらかい食事を用意してくれたのでなんとか乗り切ることができました。
当時は永久歯が生え揃わないせいで歯と歯の間に隙間があって、むし歯もちょっとありました。でも、矯正治療を始めて、しっかり歯を磨くようになってからは、むし歯はゼロ。矯正歯科の先生から「今残っている乳歯を二十歳まで残そうね」とよくいわれていたので、自分でも自然に乳歯を大事にしなきゃ、という気持ちになったんだと思います。
目標達成した今の思い
第1期の治療が終わったのは中学2年のときです。その後、14歳から上の左側1番と下の左側3番の乳歯を入れた状態で第2期の矯正治療を始めて、5年前にそれも終わりました。今は夜寝るときにだけリテーナー(動かした歯を保つ装置)を使っています。
2本の乳歯は、21歳になった今も、まだ残っているんですよ。この2本の乳歯をできるだけ長持ちさせたいですね。乳歯は永久歯より小さくて弱いので、歯磨きするときも、できるだけやさしく、でもきちんと磨くようにしています。食事をするときも、乳歯に負担がかからないように気をつけていますよ。
将来、乳歯がいよいよダメになりそうになったら、矯正歯科の先生と相談して、そのときの自分にいちばんいい治療法を選ぶつもりです。私の場合、健康保険の適用前から治療していたので、これまでにかかった費用は大きいと思いますが、その分、これからも自分の歯に意識を向け、大切にしていきたいと思っています。
余談ですが、大学を卒業したら小学校の先生になるつもりです。目標は、熱くて、子どもに頼られる先生(笑)。仕事を通して、子どもに歯の健康について伝えていきたいと思っています。
●現在の歯並び
ご存じですか?10人に1人の子どもに”足りない歯”があるってこと
- 患者さんの二人目は、永久歯が11本足りなかったというS.Nさん。6本以上の先天性欠損が健康保険の適用対象となった2年前から矯正歯科治療を始め、現在もまだ治療中です。治療に至る経緯や現状についてうかがいました。
健康保険の適用が治療のきっかけに
生まれつき永久歯が11本少ないことに気づいたのは、10歳くらいです。かかりつけの一般歯科で、むし歯治療のためにエックス線写真を撮って判明しました。当時はまだ子どもだったので、「治療は二十歳になってからにしよう」と先生からいわれていましたね。
そして大学生になってから、その先生の紹介で、ある大学病院に行ったんです。そこでは「抜歯してインプラントを入れてはどうか」という提案を受けたんですが、入れる数が多いので何百万も費用がかかるし、どうしようかなと……。
かかりつけ医に相談すると、今度は矯正歯科専門の診療所を紹介していただきました。診療所に行って話を聞いて、「治すなら矯正治療で」と思ったんですが、当時はまだ6本以上の先天性欠如が保険適用になっていなかったこともあって、やはり費用がネックで、なかなか踏み込めずにいたんです。
そんなあるとき、矯正歯科の先生から連絡があって、6歯以上の先天性欠如に健康保険が適用になったことを知りました。今から2年前、ちょうど僕が二十歳のときです。これでようやく治療できる! と、すごくうれしかったですね。
将来的なインプラントも視野に入れて
実は、矯正治療を始めるまで9本の乳歯がほぼ残っていたんです。これは矯正歯科の先生にも驚かれました。10歳で永久歯が足りないのがわかってから、月に一度はかかりつけの歯科医のもとでクリーニングやフッ素塗布を受けたせいかも知れません。
矯正治療で咬み合わせを整えるために、僕の場合は乳歯を4本抜きましたが、今も5本の乳歯が口の中にあります。将来、これらの乳歯がダメになったら、そこにインプラントを入れようかなと今は思っています。
単に乳歯を抜いてインプラントにするのだと、本数も多く必要なので何百万もかかりますが、矯正治療をして歯列を揃えてからインプラントにするとより少ない本数で済みますし、安定した咬み合わせの中に入れるので、インプラントの持ちもよくなるんじゃないかと思っています。それに、僕の場合は矯正治療に保険が効くので、その後の補綴(ほてつ)治療に費用がかけられ、また選択肢が広がるのがありがたいですね。
●治療前と現在の歯並び
ゴールに向かう今の気持ち
今、矯正治療を始めて2年目で、終わるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。治療後に、歯の隙間を埋める人工的な処置が必要なことを考えると、折り返し地点にも到達していないんでしょうね。ブレースがついていると、パスタや麺類を食べるとみごとにはさまるので、周囲を気にしなきゃいけない場では控えています。バジルも禁物ですね(笑)。
日々の歯磨きも大変ですが、少しずつ歯並びがよくなっていくのは、やっぱりうれしいことです。以前は前歯が出ていたので、大きな口を開けて笑えなかったんですが、治療中の今は笑えますし、始めてみると矯正治療って特別なことではないと思うようになりました。治療が終わったら、小学校の頃からやっているバスケを思いっきりやるつもりです!
Vol.03 ポスト大震災。いま、自分たちにできること
「約2年半」。これは成人が矯正歯科治療のブレース(矯正装置)を装着する平均的な期間です。人生の中ではわずかな期間ですが、この間に転勤や進学、結婚など、治療開始時には思いもしなかった転機を迎え、やむを得ず通院先を変えねばならない場合があるかもしれません。そんなとき、新しい土地で治療先を探すのは大変なもの。ましてや今回のような災害によって、住み慣れた場所を離れなければならないとなると、なおさら転医先探しが負担になるのではないでしょうか。
日本臨床矯正歯科医会(以下、矯正歯科医会)では、そうした状況に備え、転居などで通院先が変わっても患者さんが安心して治療を継続できるよう、2006年に独自の「転医システム」を構築しました。その転医システムとは、北海道から沖縄まで全国約500名におよぶ会員(矯正歯科医)ネットワークを生かし、主治医が患者さんの転居先にできるだけ近い、信頼できる矯正歯科専門開業医を紹介するというもの。その際、治療費の過不足についても同会の取り決めに沿って精算されます。
「本来、治療計画や治療方針、料金システムは先生によって異なります。ですから、途中で別のクリニックに変わるのは避けられるなら避けた方がいい。ただし、有事の際にはそんなことは言っていられません。実際、今回の震災では、うちから他県のクリニックに10数名の患者さんが転医しました」
と話すのは、福島県で開業する清水義之先生。
清水先生は、進学や就職などで毎春3~4人の転医はあるものの、ここまで一気にというのは初めてだとした上で、
「それでも会員同士のコンセンサスがあらかじめとれていたことで、新しいクリニックへの引き継ぎはスムーズに進みました。どんなときでも患者さんに安心を提供できるネットワークがあるのは、やはり重要だと実感しましたね」
と語ります。
矯正歯科医会では、転移システムを整備するとともに、北海道、東北、北関東…と、全国を13支部に分け、各支部の会員同士が親睦を深めることにも注力。会員同士が日頃から交流をもつことで、「万が一」の際、互いに助け合える関係づくりを行ってきました。こうした地道な取り組みが、今回の震災で力を発揮したのです。
次のページでは、ネットワークを生かした被災地支援の実際をご紹介します。
Vol.03 ポスト大震災。いま、自分たちにできること
地震発生直後の様子。模型を並べた棚が倒れ、床をふさいでいる。
矯正歯科医会に加入するクリニックで東日本大震災の被害を受けたのは、宮城県と福島県にある3軒でした。いずれも、壊滅的な打撃は免れたものの、X線装置などが壊れ、カルテや模型が散乱し、数日間はクリニックを閉めざるを得ない状態に。宮城県で開業する伊藤智恵先生は、ものが散乱した診療室を片付け、壊れた機材を修理し、なんとか診療できる体制が整ったのは震災から4日後だったと話します。
「その後、電話が通じるようになってから1週間かけて患者さんの安否確認を行いました。 4月からは通常業務ができるようになりましたが、それでも戻ってきた患者さんは2割程度。家や車が流されて避難所生活を送る多くの方は、歯も磨けず、大変なストレスを抱えて暮らしていらっしゃいました」
こうした被災地の声を受け、矯正歯科医会では日本歯科矯正機材協議会の協力を得て、歯ブラシや歯磨き剤、フロス、歯間ブラシ、洗口液などを詰め合わせた「口腔ケア応援セット」3,000組を用意。4月初旬には被災地の会員の手を経て、各地区の避難所に届けられました。
左が子ども用、右が大人用にまとめられた
「口腔ケア応援セット」。
それぞれ小さな桜のシールが添えられている。
「このセットは被災者の方々に本当に喜んでいただけました。単品ではなく詰め合わせてあるので受け取ってから仕分けの手間が省けますし、セットの中に添えられた小さな桜のシールにも温かい気持ちを感じました。これだけの点数のアイテムを迅速に集め、梱包し、送るというのは、人手がないとできないこと。全国組織の矯正歯科医の団体だからこそ実現できた支援の形だと思います」
と伊藤先生。
矯正歯科医会では同時に、被災した患者さんにどのような支援ができるかについて検討を重ね、まずは応急処置対応を全国の会員クリニックに依頼。そして、避難所での生活を余儀なくされている被災患者さんを対象に、5月には「矯正歯科被災者支援フリーダイヤル」を設置(*)し、9月末までの約4か月間で計82件の相談を受け付けました。
相談内容には、「震災でリテーナー(取り外せる保定装置)を紛失したが、クリニックと連絡がつかない。どうすればいいのか?」「被災したクリニックが再開しない場合、新しい受け入れ先と、すでに支払った治療費の返金はどうなるのか?」「矯正治療がもうすぐ終わる段階で被災し、先生と連絡が取れないので、避難先にある歯科医院を受診したが、新たに治療費として約52万円かかるといわれた。被災者への治療費補助などはないのか?」など、さまざまなものがあったということです。
次のページでは、歯科を取り巻く今後の課題についてご紹介します。
Vol.03 ポスト大震災。いま、自分たちにできること
宮城県で開業する曽矢猛美先生は、今回の震災で矯正歯科医としてというより、一人の歯科医として、非常時に何ができるのかを見つめ直したと話します。
「やはり、歯科医である自分にできるのは口腔ケアです。今回の大震災では、津波で亡くなったご遺体の収容が大規模なために、身元が判明しないまま火葬しなくてはなりませんでした。
そんな中、私は自分にできることとして宮城県歯科医師会からの派遣で行方不明者の検視をしたり、石巻日赤病院で口腔ケアを行ったりしました」
その中で必要だと感じたのは、歯を通じた個人識別システムの構築でした。
他地区の歯科医師会や大学などから、
宮城県歯科医師会に届いた支援物資の一部。
「目視で判別できない場合、指紋検査、歯科情報検査、DNA検査が行われますが、ご遺体の状態によっては指紋の採取が難しくなります。かといって、DNA検査は照合装置が少なければ時間も費用もかかってしまう。
一番安価で確実なのは、歯科情報です。自治体ごとに歯科検診のデータをデジタル化して、どこかのサーバにあげて備蓄しておき、なにかのときに照合できるシステムを構築する必要があると強く感じました」
今回は、沿岸部にある歯科医院が津波で被災し、生前の歯科カルテが大量に失われてしまったため、歯の照合も思うように進まなかったと言われています。災害時における歯科情報は、家族と本人を結ぶ大切な最後の絆。この大震災を契機に、歯による個人識別システムを確立することが、津波で人生を突然たたれてしまった方々への最大の供養ではないかと、曽矢先生は語ります。
宮城県多賀城市七ヶ浜にある、
津波に襲われた幼稚園に支援に行ったときの写真。
背景は、がれきの山。その前に幼稚園があった。
「園児が亡くならなかったことにほっとし、
『こんにちは』『ありがとう』の声に、かえって励まされました」(曽矢先生)
「緊急時の対応はスピードが命。速やかに行わなければ意味がありません。
その点、矯正歯科医会の有志が被災地に何がほしいかを聞き、必要とされるものを用意して、パッケージにして送った『口腔ケア応援セット』はよかったと思います。
そのとき現地が求めるものを、相手に負担をかけない形でサポートするのがボランティアの精神ですから」
必要な手を必要なところにさしのべるには、相手の状況を正しく知ることが大前提。その上で、専門の異なる歯科医や医師が連携して、患者さんのケアにあたることも重要です。人と人、分野と分野の壁を取り外し、専門性を生かしながら、いかに関わるかを考えること。本当に求められる支援の形は、そこから生まれるのかもしれません。
次のページでは、会という枠組みを度外視して実施されている矯正歯科医会の治療費補助の取り組みをご紹介します。
Vol.03 ポスト大震災。いま、自分たちにできること
矯正歯科医会は6月、矯正歯科治療中に被災し、金銭的に治療の継続が困難になった患者さんを対象に、治療継続に必要な診療費の補助を行うことを発表しました。
矯正歯科医会が実施する治療費補助は、2011年6月、新聞などのメディアを通じて全国に告知された。
補助の対象となるのは、自宅が半壊、半焼以上の被害を受けたり、世帯主が死亡や重傷、行方不明、失業、廃業、休業している、もしくは原発事故で政府の避難指示の対象となっている患者さんで、一人につき10万円を上限に補助されます。総額1,000万の予算を投じて行われるこの補助金制度のポイントは、同会の会員クリニック以外で矯正歯科治療を受けていた患者さんも対象になるという点。10月現在、すでに71名からの補助申請の申し込みが寄せられ、38名への補助が確定しています。
前出の伊藤先生は、
「被災して困っている患者さんからお金をいただくつもりは、もともと一切ありませんでした。でも、『費用はいりません』と言うと、患者さんは遠慮されます。そして、先生のご迷惑になるなら治療はやめようかと思ってしまわれるかもしれません。実際、『大丈夫ですよ。矯正歯科医会から材料費の支援がありますから。こちらのことはご心配なく』と言うと、皆さん一様にほっとした顔をされるんです。患者さんのそんな表情をみると、この治療費補助のおかげで、患者さんは治療を諦めずに踏ん張る決意を固めてくれたと嬉しくなります」
と話します。
そして、清水先生もこう語ります。
「うちからは20数名の患者さんの補助申請をしています。お一人10万円の補助は大きいですよ。患者さんは皆さん、こうした制度があることを喜んでおられます。私自身、まるで家族のように心配してもらえることで、困難な状況でも患者さんへのよりよい治療につなげようという思いがわいてきます」
一人ではできないことも、団体でなら可能になる。同じ専門家同士のネットワークだからこそ、被災した場合の困難が理解できる。お互い様の精神で助け合う姿勢が、ひいては患者さんへの質の高い治療の維持することにもつながるのです。
次のページでは、実際に治療費補助の申請を行った患者さんのお話をご紹介します。
Vol.03 ポスト大震災。いま、自分たちにできること
自宅近くの一般歯科で、去年の秋から娘・あやね(現在小学4年生)の矯正歯科治療を始めました。娘は乳歯のときから歯並びが悪く、幼少期からむし歯の治療やフッ素の塗布で、ずっとその歯科医院に通っていました。そして、永久歯に生え替わってからさらに歯並びがガタガタになり、先生からも矯正を勧められたので、ごく自然に治療をスタートしたという感じです。
まずは昨年11月、ガタつきがひどかった下の前歯にだけ、ブレースをつけました。あやねにとって痛みが強かったのか、歯科医院に行くといつも泣いて、2~3日続けて鎮痛剤を飲み続けなければなりませんでした。でも、歯並びを整えるためにはしかたがない、そう思っていた矢先に東日本大震災が起きたのです。自宅は福島第一原発から10キロ圏ですが、夫の会社はわずか1キロ圏。汚染がひどく、立ち入りもできず、退職するか、石川県にある支社に異動するか、どちらかを選ばなければなりませんでした。結局、着の身着のままの状態で石川県に越してきたのが3月下旬です。
福島県から石川県にやって来た当初はお金もないし、どうしていいかまったくわかりませんでした。 あやねの矯正治療に関しては、最初に一括で60万円を払っていたのですが、震災後、歯科医院の電話がつながらなくなり、どうなるのだろうと不安を感じていました。たまたま、他県で一人暮らしをしている大学生の長男がその歯科医院の息子さんと同級生だったので、息子さん経由で先生の携帯電話の番号を教えてもらい、なんとか奥さまとお話しできました。さっそくお電話をして返金について尋ねたところ、カルテがないとわからないというお返事でした。
そこで、一時帰宅が許されたときにカルテを見せてもらい、「治療して半年だし、この状況なので返金してほしい」と再度お願いをしましたが、娘の場合、半年間に診療時間外の通院も多かったので返金はないと言われてしまいました。
途方に暮れながら、石川県の保健師さんに相談して、地元の矯正歯科医院のリストを出してもらい、一件ずつ電話をしましたが、たいていは「今後、治療するならまた全額必要」というお返事でした。また、何軒かのクリニックには直接あやねを連れて行ったのですが、「うちでは、もうこういう治療はしていない」「半年で60万は高い」などと言われる始末。改めて矯正歯科医院はいろいろなのだなと思いました。
いっそ、治療を中断しようか、とも考えました。なんといっても、今後の生活がどうなるのか、お金がないのが一番の不安でしたから。でもその反面、できれば治療を続けたいという気持ちも強くありました。ほかの方から見ると矯正治療は贅沢にうつるのかもしれませんが、見かねるほどひどい娘の歯並びをなんとかしてやりたかったのです。
そんなとき、リストを見て訪ねた医院から紹介されたのが、矯正歯科医の窪田正宏先生です。窪田先生はこちらの話を親身に聞いてくださり、「毎月2,100円の調整費のほかは全額支援する」と言ってくださいました。本当にありがたかったです。そこに窪田先生が所属する矯正歯科医会から補助がおりて、治療費(調整費)に充てられることになりました。
不思議なことに、以前はあんなに泣いて痛がっていた娘が、窪田先生のところでは一度も泣かず、痛み止めとも無縁です。おかげさまで、ガタガタだった歯並びも今では少しよくなりました。
福島県から石川県にきて、半年以上が経ちました。最初は、不安で、不安でしかたありませんでしたが、いろんな方の温かいご支援を受けて今日までやってきました。多くの方の思いによって、私たち家族が支えられているのだと、今、改めて思っています。