矯正歯科専門開業医の団体である公益社団法人 日本臨床矯正歯科医会(以下、矯正歯科医会)は、2019年10月3日(木)、東京・大手町サンケイプラザにおいて「咬み合わせから人生100年時代を考える〜「中高年期の矯正歯科治療」の今をひもとく〜」と題したプレスセミナーを開催しました。その内容をダイジェストでご紹介します。
(記事作成 2019年12月20日)取材・文:冨部志保子(編集・ライター)
健康長寿に不可欠なのは、
安定した咬み合わせ
よく噛むことが心身のすこやかさにつながる
厚生労働省の発表によると、2018年、日本人の平均寿命は男性81.25歳、女性87.32歳と過去最高を更新しました。平均寿命の延びを反映し、最近では“人生100年時代”という言葉も見聞きするようになりました。その一方で、自立して生活できる年齢を指す「健康寿命」は2016年時点で女性74.79歳、男性72.14歳と平均寿命との開きが大きいことが課題です。
こうした現代において大切なのは、健全な食生活を通して健康寿命を今以上に延ばしていくことにほかなりません。そのために大切なのが、食べ物をしっかりと噛むことのできる、よい歯並びとよい咬み合わせです。
これまでの「トレンドウォッチ」でも何度かご紹介していますが、よく噛むことは単に食べ物を体に取り入れるだけではなく、全身を活性化させ、すこやかさを保つための重要な働きを担っています。つまり、いくつになってもしっかりと噛める自分の歯があることが、健全な食生活と心身の健康に役立つのです。
歯並びのよさ=よく噛める、ではない
よく噛むことの効用を具体的に挙げると、次の8つになります。
〈よく噛むことの8つの効用〉
- ① 肥満を防ぐ
- ② 味覚の発達を促す
- ③ 発音をはっきりさせる
- ④ 脳の働きを活発にする
- ⑤ 歯の病気を防ぎ、口臭を少なくする
- ⑥ がんを防ぐ
- ⑦ 胃腸の働きを促進する
- ⑧ 全身の体力向上とストレス解消
「めざそう8020」より引用(公益財団法人8020推進財団)
では、よく噛める(咬み合う)とは、どういう状態をいうのでしょうか?
間違いやすいのですが、歯並びがよい=よく噛める、ではありません。
例えば、Aさん(58歳2か月)は一見すると歯並びがきれいに整って見えます。
しかし、奥歯を咬み合わせてみると、上下の前歯に隙間があることがわかります。これは「開咬(かいこう)」という不正咬合(ふせいこうごう)の一症例です。この状態では前歯で食べものを噛み切ることができず、サ行やタ行が発音しづらいなど滑舌(かつぜつ)にも影響が出てしまいます。
そこでAさんは、よく噛める状態をつくるために矯正歯科治療を受け、無事に治療が終了しました。開咬は改善され咬み合わせが安定し、前歯で食べものを噛み切ることができ、滑舌もよくなりました。
このように、大切なのは一見して歯並びがよいことではなく、ものをしっかり噛むことができる安定した咬み合わせであること、なのです。
Aさんのような開咬を含め、永久歯列期の不正咬合には、主に6種類あります。
〈永久歯列期の代表的な不正咬合〉
前後的な問題の不正咬合
上顎前突(じょうがくぜんとつ/出っ歯)
下顎前突(かがくぜんとつ/受け口)
上下的な問題の不正咬合
過蓋咬合(かがいこうごう/上の前歯が下の前歯に深くかぶさっている咬み合わせ)
開咬(かいこう/奥歯で噛みしめたとき、上下の前歯に隙間ができる咬み合わせ)
それ以外の不正咬合
交叉咬合(こうさこうごう/下の前歯が上の前歯より前に出たり、下の奥歯が上の奥歯より外側に出ている咬み合わせ)
叢生(そうせい/デコボコ)
よい咬み合わせの基準は、こちらをチェック!
歯を動かすだけではない
矯正歯科治療の意義
20本以上の歯があれば、何でも食べられる
55〜74歳の男女1000人を対象とした「健康の後悔」調査(2012年)の結果をみると、後悔することの筆頭に挙がっているのが、「歯の定期検診を受ければよかった」です。この結果に対して、当時の聖路加国際病院名誉院長 故・日野原重明先生は、「歯の健康を保つことこそ長寿の秘訣」だとのコメントを寄せています。
〈健康の後悔トップ3〉
① 歯の定期検診を受ければよかった(283ポイント)
② スポーツなどで体を鍛えればよかった(244ポイント)
③ 日頃からよく歩けばよかった(234ポイント)
gooリサーチと「プレジデント」編集部の共同調査より
噛むこと、食べることは命を存続させるだけではなく、食事を楽しむことにもつながります。そのためにも、しっかりと咬み合う歯があることは大切なことです。
一般的に、大人には親知らずを含めると32本の歯がありますが、歯の数が多いほど噛み応えのあるものでも食べることができ、その分、食事を楽しむことができるといえます。
実際、「食事がとてもおいしい」と感じている人は平均20本の歯が残っていたのに対し、「食事がおいしくない」と感じている人は平均11本しか歯が残っていないという調査結果も出ています。この調査結果からわかるのは、食事のおいしさを実感するには、約20本の歯が必要だということです。
歯を失う最大原因、歯周病の予防が重要
では近年、中高年はどれくらい自分の歯を保てているのでしょうか?
「80歳になっても20本以上、自分の歯を保つ」ことを目標に1989年から継続されている「8020(ハチ・マル・ニー・マル)運動」では、8020達成者が過半数を越えました。
しかし、その一方で罹患率が高いのが歯周病です。歯周病とは名前のとおり、ハグキや歯槽骨(しそうこつ)など歯を支える組織が細菌に冒される感染症で、歯とハグキの境目にある隙間(歯周ポケット)が3ミリ以上あり、歯を支える組織が溶け出した状態をいいます。なんと歯周病にかかっている人の割合は日本人の約7割。歯周ポケットが4ミリ以上ある進行した歯周病の罹患率は50代以降では5割以上で、歯を失う最大の原因となっています。
そこから見えてくるのは、歯の本数と口腔内のコンディションは決して比例しないということです。
大切なのは“いかによい状態で歯を残すか”。
近年、糖尿病と歯周病についての関連などがわかってきていることもあり、医科と歯科、あるいは矯正歯科と歯周病専門の歯科など専門分野の異なる歯科同士が連携して治療やケアにあたり、口腔機能の維持・向上を図ることが求められています。
50代での矯正歯科治療が健康長寿に貢献
次に、こうした大人の口の中に対して矯正歯科治療がどのように貢献できるかについて、事例をベースにご紹介します。
ご紹介するのは、57歳で矯正歯科を訪れたBさんのケースです。Bさんは上下の歯を咬み合わせる際、下の前歯が上のハグキに食い込み、ハグキや骨が損傷する「咬合性外傷」といわれる状態になっていました。X線写真で見ると、下の前歯を支える歯槽骨が高く盛り上がっているのがわかります。
そこで矯正歯科治療によって、下の前歯を歯の根元方向に移動させ(これを「圧下(あっか)」といいます)、歯槽骨の高さを下げていきました。治療後のX線写真を見ると、歯の圧下に伴って、歯槽骨の高さもなだらかになっているのがわかります。
治療後も矯正歯科で経過を長期的なチェックを受けることで、現在80代のBさんは、今もいろんなものを食べられる状態をキープしています。治療前の状態を見る限り、50代で矯正歯科治療を受けなければ、おそらく80代でここまでよい状態は保てなかったでしょう。
このように矯正歯科治療とは、単に歯を動かすだけではなく、口の中全体のコンディションを整え、噛みやすいバランスのとれた状態に導く医療処置であり、矯正装置が外れた後も定期的な経過観察を通して、患者さんの健康寿命に貢献することができるのです。
症例でみる、
40代以降の矯正歯科治療
全身の健康に配慮して、必要な連携をとりながら治療する
ここまで読んできた方の中には、「そうはいっても中高年期から矯正歯科治療を始めるには、いろんなリスクもあるのでは?」と思う方もいるかもしれません。確かに、成長期の子どもと違い、40代以降の中高年期には糖尿病や心臓病、骨粗しょう症といった全身的な疾患のリスクが上昇し、前述の歯周病をはじめ、むし歯や唾液量の減少による口腔内乾燥症などの口腔内疾患への配慮が不可欠です。
〈中高年期の矯正歯科治療の主な留意点〉
全身的な疾患…糖尿病(糖尿病関連の骨粗しょう症)、心臓病、骨粗しょう症、がんなど
顎関節機能障害
口腔内疾患…むし歯、歯周病、口腔内乾燥症など
矯正歯科的な問題…骨格的な問題、歯髄(歯の神経)の問題、歯槽部(歯を支える骨)の問題、歯の喪失など
他科との連携…医科との連携(内科、形成外科など) 歯科との連携(歯周病科、歯科口腔外科、補綴科など)
そのため、矯正歯科治療に際しては、医科の主治医がいる患者さんの場合はその主治医と連絡を取り合いながら、一人一人にあった治療法を組み立てることとなります。
ここからは、個々の身体的な疾患および口腔内の状態に配慮しながら、中高年期から矯正歯科治療を受けた事例をご紹介しましょう。
case study 01
かかりつけ歯科医と連携して治療したCさん(50代)の場合
50代のCさんは年齢を重ねる中で歯周病が重篤化し、下あご左側の第二大臼歯が抜けてしまいました。その結果、咬み合わせが低くなり、食事の際、下の前歯を出してものを噛む状態が続いたことで、徐々に受け口になってしまいました。矯正歯科を受診したのは、なんとかしたいと相談した、かかりつけの一般歯科医からの紹介です。
矯正歯科で精密検査をしたところ、右側の上下の大臼歯計4本の歯も骨が溶け、抜くしかない状態だとわかりました。
そこで、矯正歯科医がリーダーシップをとりながら、かかりつけの一般歯科医と話し合い、Cさんの崩壊した咬み合わせを再構成することになりました。
まず、矯正歯科医が歯の動きを予測するシミュレーション模型をつくり、抜くしかない歯を選定。そこにデンタルインプラントをどの程度の高さで埋入するかなどを相談しました。
そして、その相談結果を矯正科医がCさんに説明し、了解を得た後、一般歯科で上あごと下あごの右側大臼歯をそれぞれ2本ずつ抜歯し、デンタルインプラントを4本埋入。咬み合わせの高さを改善しました。
その後、矯正歯科でマルチブラケットを装着して動的治療を実施。約3年半かけてゆっくりと歯を動かし、受け口を改善していきました。
その結果、終了後にはしっかりと噛み合う安定した歯並びとなりました。
case study 02
加齢変化で歯並びが乱れたDさん(70代)の場合
Dさんが、はじめて矯正歯科を訪ねたのは70歳のときでした。その理由は「これまできれいに並んでいた下の前歯が、4〜5年の間にデコボコしてきて、食事のたびにものが詰まり、楽しく食べられないから」という理由でした。
精密検査の結果、口腔内に重篤な歯周病などがなく、比較的よい状態であったこと、また下あご前歯のデコボコを改善するために前歯を1本抜いても咬み合わせに影響がないことがわかりました。
大人が矯正歯科治療をする場合、あごの大きさに対して歯が並びきらずにデコボコしていたり、歯列からはみ出していたりする際には治療前に抜歯をし、そのスペースを利用して歯列を並べ替える必要があるのです。
そのことをDさんに説明し、了解を得たうえで抜歯をし、矯正歯科治療を行いました。
その結果、すっきり整った咬み合わせとなり、「友人とのランチが楽しくなった」とのことです。
大人の矯正歯科治療の傾向と、
信頼できる治療先の見分け方
大人になってから矯正歯科治療を受ける人が増えている
〜会員診療所へのアンケート調査の結果より〜
矯正歯科医会では2019年、全国の約400名の会員診療所(矯正歯科単科専業医院)を対象に、『大人の矯正歯科治療に関するアンケート』を実施しました。その結果からも、この10年間で中高年期に矯正歯科治療を受ける人が増加傾向にあることがわかります。
矯正歯科治療を受ける成人の割合は、2008年からの10年間で2倍近くにまで増えています。特に女性の場合、20代と並んで増加率が高くなっているのが50代。また男性も、20代を筆頭に、40代、50代で倍増しています。こうしたことから、矯正歯科治療はもはや若い世代のものだけではないことが見て取れます。
来院動機の筆頭は、見た目の改善。次いで、咬み合わせを改善することでの健康維持でした。確かに、矯正歯科治療を受けるということは、自分の歯の状態を確認し、ふさわしいケア方法を知り、定期的に矯正歯科で口の健康を管理することでもあります。その意味でいうと、筆頭に挙がっている「審美的欲求」や「機能的欲求」も、健康維持とリンクするものといえるでしょう。
安心できる治療のために知っておきたいこと
矯正歯科専門開業医の全国組織である日本臨床矯正歯科医会では、中高年期の患者さんに安心して治療を受けていただくための6つのポイントを提示しています。
これらのポイントを参考に、何でも食べられる咬み合わせを手に入れて健康長寿にお役立てください。
〈矯正歯科診療所が備えるべき6つのポイント〉
- ① 頭部X線規格写真(セファログラム)検査をしている
- ② 精密検査を実施し、分析・診断した上で治療をしている
- ③ 治療計画・治療費用について詳細に説明をしている
- ④ 治療前に治療中の転医(※)や治療費精算の説明をしている
※転医とは、治療中にやむを得ず、診療所を替えること。 - ⑤ 常勤の矯正歯科医がいる
- ⑥ 専門知識のある歯科衛生士、スタッフがいる
頭部X線規格写真(セファロ)検査とは、上下のあごの大きさやズレ、あごや唇の形態、歯の傾斜、口もとのバランスなどの状態を正確に知るために行われる検査をいいます。
人生100年時代の健康長寿のために、あなたも咬み合わせを見直してみてはいかがでしょう。安心して矯正歯科治療が受けられる診療所は、こちらからチェックを!