公益社団法人日本臨床矯正歯科医会(会長:野村泰世)では、2022年3月14日(月)、昭和大学歯学部長/昭和大学歯学部歯科矯正学講座教授 槇 宏太郎先生をゲストスピーカーに招き、メディア各社に向けたセミナーを開催しました。
今回はその内容を踏まえ、近年話題となっている“アライナー矯正”の真実を明らかにしていきます。
(記事作成 2022年7月30日)取材・文:冨部志保子(編集・ライター)
簡単そうに見えて
治療者の熟練度が問われるアライナー矯正
アライナーを用いた治療トラブルが急増中
新型コロナウイルス感染症の流行によるマスク生活の長期化の中で、昨今、若い世代を中心に矯正歯科治療の需要が高まっています。
その一方で、不適切な矯正歯科治療をめぐるトラブルも増加しており、日本臨床矯正歯科医会(以下、本会)が2004年から公式ホームページ内に開設している「矯正歯科何でも相談」へも、日々さまざまな相談が寄せられています。なかでも多いのが、透明のマウスピース型矯正装置(以下、アライナー)を利用した治療によるトラブルの相談。なんと2019年には21件だったのが、2021年には83件にのぼるなど急増しています。
~「矯正歯科何でも相談」に寄せられたアライナーのご相談より~
(個人が特定できないよう一部内容を変えています)
2018年からアライナーでの治療を始め、間もなく3年目になります。しかし先日、理想の形にするにはあと21か月かかると言われました。下顎の歯はほとんど綺麗な歯並びになりましたが、上顎の前歯は出っ歯と八重歯がまったく治っていません。
アライナーでの治療で治るといわれたが、基本、咬み合わせも治りませんでした。主治医からは「これで終了、あとは補綴治療を」と言われたので、別の矯正歯科専門医と歯科医院に相談したところ、どちらの歯科医院も同じ見解で「咬み合わせが悪く、歯が前に出ている。これで矯正歯科治療をしたとはいえない。」などと言われました。アライナー治療は認定医でない一般歯科の先生でも、できるものなのでしょうか?
従来のマルチブラケット装置とアライナーの違いとは?
「トレンドウォッチ」では、これまでにもアライナーについては何度かご紹介していますが、今回改めて、アライナーと通常のマルチブラケット装置との違いについてご説明しましょう。
まず、一般的な矯正歯科治療で利用するマルチブラケット装置は、精密検査や診断などを経たうえで1本1本の歯の表面に溝のあるブラケットという器具を貼りつけ、その溝にアーチワイヤーを通して3次元的に歯を移動させます。ブラケットには金属やセラミックやプラスティックでできたものなどがあり、いずれも一度歯に装着すると自分では取り外すことができません。
一方のアライナーは目標とする歯並びのシミュレーションを行い、形の異なるアライナーを複数製作し、出来上がったアライナーを1日20時間以上装着して目標の歯並びに近づくように1〜2週間ごとに交換していきます。
アライナーは、食事や歯磨きの際に取り外すことができ、透明なので装着中でも目立たないのがメリットですが、反面、適応が軽微な不正咬合に限られることや患者さんの使用状況に治療結果が大きく委ねられること、またマルチブラケットに比べて歯への力のかかり方が緩いことから、特に抜歯症例では予想外の治療経過を辿ることがあります。
さらに、マルチブラケット装置を用いた治療には専門的なトレーニングや経験が求められるのに対し、アライナーは歯科医師であれば誰でも製作のオーダーが可能なため、治療を行う医師によっては、目標とした治療結果が得られない場合もあります。
Attention
アライナーを用いた矯正歯科治療の留意点
- ● 治療効果は装着時間に影響される
1日20時間以上の装着が必要
- ● 適応症例が限られる
著しい出っ歯や乱ぐい歯には不適合
- ● 力のかかり方がやや緩かったり歯の形に影響を受けたりする
治療期間が長くなることがある
- ● 診断に使われるシミュレーション画像に、歯の根っこ部分についての情報が欠けている
矯正歯科治療の専門的知識や経験がないと、骨の中に収まる歯根まで見据えた治療ができない
- ● 歯科医師であれば誰でも製作のオーダー、治療ができる
シミュレーション画像の適否の判断や予期せぬ歯の動きに対応するには、
矯正歯科の専門的知識が必要 - ● 咬み合わせ面を覆う形態のため、咬合高径(咬み合わせの高さ)が上がる
顎関節に負担がかかったり、また噛みしめが強いと
奥歯が圧下(歯の根っこの方向に沈むこと)されることがある - ● 保険診療には使用できない
保険が適応される矯正歯科治療(顎変形症、「厚生労働大臣が定める疾患」に起因した咬合異常に対する矯正歯科治療など)には使用できない
ケーススタディでみる
アライナーを用いた矯正歯科治療
今回、アライナーを用いた矯正歯科治療のトラブルの側面を強調していますが、アライナーという装置に問題があるわけではなく、適切な用い方をすれば、アライナーは安定した咬み合わせづくりに貢献します。大切なのは、適否を見極める治療者の“目”にあるといえるのです。
ここでは、間違った使い方で咬み合わせが悪化してしまった例と、適切な使用で咬み合わせに貢献した例の2つのケーススタディをご紹介します。
抜歯症例に用いて、咬み合わせが悪化してしまった成人女性
あごの大きさに歯を収めるため、上顎の第一小臼歯(前から4番目の歯)と下顎の第二小臼歯(前から5番目の歯)を抜歯後、アライナーを用いた矯正歯科治療を受けたものの、抜歯部位に歯が傾斜してしまい、治療前より奥歯の咬み合わせが悪くなってしまいました。現在は、矯正歯科専門の歯科医院にてマルチブラケット装置を装着しての再治療が完了しています。
治療前
口もとの突出感が気になって来院されました。歯のデコボコはほとんどありませんが、歯列が前方に拡がって並んでいました。
アライナーを用いた矯正歯科治療後
歯を抜いたスペースに向かって臼歯が倒れながら沈み込むという、治療前のシミュレーションからは予期できない動きが生じたことで、奥歯の咬み合わせが悪化してしまいました。
現在、矯正歯科専門開業医のもとで、マルチブラケットを用いて再治療完了
ブラケットとワイヤー、顎間ゴムを使って倒れ込んだ臼歯を起こし上げ、上下顎臼歯がしっかり咬める状態にまで改善させることができました。
軽微なデコボコを、アライナーを用いた矯正歯科治療で治した成人女性
Case2はアライナーを用いた治療の成功例です。抜歯を必要としない軽度なデコボコなら、毎日決められた時間、きちんとアライナーを装着することで、すっきり整えることが可能です。
治療前
上の前歯2本が出ていることを主訴として来院されました。上顎歯列が下顎歯列に対して前方にあり、特に左側の臼歯は上下の咬頭と咬頭が咬み合っていました。
アライナーを用いた矯正歯科治療後
咬み合わせが安定し、主訴の上顎前歯の前突感は解消されました。
非抜歯の症例を選択したことと、術者の矯正歯科に関する専門的知識をもってシミュレーションの可否を判断できたことで、患者さんの満足につながる治療結果に到達できました。
Attention
アライナーを用いた矯正歯科治療の適応について
日本矯正歯科学会では、アライナーの適否を見極める基準を定めています。
アライナーを用いた矯正歯科治療に関心がある人は、以下をご確認のうえ、主治医と相談してください。
推奨される症例
- ● 非抜歯症例で、以下の要件を満たす症例
・軽度の空隙を有する症例
・軽度の叢生で歯列の拡大により咬合の改善が見込まれる症例
・大きな歯の移動を伴わない症例 - ● 矯正治療終了後の後戻りの改善症例
- ● 抜歯症例であっても歯の移動量が少なく、かつ傾斜移動のみで改善が見込まれる症例
- ● 金属アレルギーを有する症例
推奨されない症例
- ● 抜歯症例
・犬歯が遠心傾斜している症例
・前歯部が大きく舌側傾斜している症例
・歯の大きな移動を必要とする症例
・大きな回転、圧下・挺出を必要とする症例
・患者の協力度が低い症例 - ● 乳歯列期、混合歯列期で顎骨の成長発育や歯の萌出の正確な予測が困難な症例
- ● 骨格性の不正を有する症例
公益社団法人日本矯正歯科学会 アライナー型矯正装置による治療指針より
アライナーに関する2種類の
アンケート調査から、わかること
本会では、アライナー治療を考える患者さんへのメッセージとして、患者さんを対象にしたものと、本会会員を対象にしたもの、計2種類のアンケート調査を行い、その結果をまとめました。
矯正歯科治療を経験した患者さん※への調査結果
※18歳以上の男女1万人中、矯正歯科治療の経験者1532人を対象(2021年マクロミル調べ)
本会会員のアライナーの使用状況
※公益社団法人日本臨床矯正歯科医会会員417人(2021年本会調べ)
Attention
結論 ―患者さんに心得ておいてほしいこと―
- ● アライナーは、決して簡単な魔法の装置ではありません
- ● アライナー治療を受ける際は、
リカバリーの手段や技術を持つ歯科・矯正歯科を慎重に選んでください - ● アライナーでの治療は、日本の薬機法上は医療機器ではありません
- ● 治療は「自己責任」の治療であることを認識してください
アライナー治療におけるトラブルに対して、本会ではこのような取り組みを行っています
- ● 公式ホームページ上でのさらなる注意喚起
- ● 公式ホームページ内の「矯正歯科何でも相談」での相談受付
これから矯正歯科治療をはじめる人、アライナー治療に関心のある人は、アライナー治療の特徴とご自身の適応をしっかりと理解したうえで、納得のいく治療を受けてください。