矯正歯科専門開業医の全国組織である公益社団法人日本臨床矯正歯科医会(会長:野村泰世)では、2023年1月23日(月)、メディア各社に向けて「中高年の矯正歯科治療 ―8020達成を目指して―」と題したセミナーを開催しました。今回はその内容を踏まえ、8020の達成と中高年の矯正歯科治療の関係性についてご紹介します。
(記事作成 2023年3月13日)取材・文:冨部志保子(編集・ライター)
不正咬合は、むし歯や歯周病の
進行を早めてしまいます
コロナ禍を機に増える大人の矯正歯科治療
新型コロナウイルス感染症の流行で日常生活にマスクが定着したのを好機に、これまで気になっていた歯並びや咬み合わせを改善したいと考える大人が増えています。
公益社団法人日本臨床矯正歯科医会(以下、本会)が会員である矯正歯科医にとったアンケート結果をみると、矯正歯科治療を開始した患者さんのうち「成人患者の占める割合が40%を超える」と回答した診療所は、2016年には24.6%でしたが、2021年には49.1%に急増していることからも、その傾向は明らかです。
歯を失うリスクを高める不正咬合
生涯、自分の歯で食事を楽しむために、厚生省(現:厚生労働省)と日本歯科医師会は 1989年から“80歳になっても20本以上自分の歯を保とう”を目標に据え、「8020(ハチ・マル・ニー・マル)運動」を推進しています。
この運動が始まって間もない1993年には8020達成者は10%弱でしたが、2016年の調査では50%超 (2人に1人)となり、現在は達成者を60%にする新たな目標が掲げられています。
ここで知っておきたいのが、どのような理由で私たちは歯を失うのか、ということです。その理由のトップ3は、「歯周病」「むし歯(う蝕)」「破折」。このうち、歯周病とむし歯が、約67%を占めています。
8020達成者の中に反対咬合、開咬の人はゼロ
歯周病やむし歯になる主な原因は、食べかすや歯垢の磨き残しですが、歯並びや咬み合わせの悪さも歯を早期に失うことにつながります。U字形のアーチを描いてすべての歯が隙間なく並んだ「正常咬合」に対し、以下のような咬み合わせに問題のある「不正咬合」は歯ブラシが届きにくいだけでなく、食事や睡眠中の歯ぎしりなどで一部の歯に過剰な力や横揺れの力がかかるため、むし歯や歯周病の進行を助長してしまいます。
●「前後的な位置関係」でみる不正咬合
●「上下的な位置関係」でみる不正咬合
なお、8020達成者と咬み合わせの関係についての調査結果からは、達成者の中には「反対咬合」や「開咬」といった不正咬合の人は一人もいないことがわかっています。
8020達成者と咬み合わせ
中高年からの矯正歯科治療で
咬み合わせは回復できます
70代で矯正歯科治療を始めたAさんの場合
治療前(74歳)
ご紹介するAさん(70代・女性)は、奥歯は左側に咬み合わせがずれた「交叉(こうさ)咬合」、前歯は下の歯が上の歯の外側に位置する「反対咬合」で、すでに下の歯が6本失われた状態でした。
また残っている歯も、上下の咬み合わせが前後にずれた状態で、治療前はかなり歯肉退縮が進んでいました。これを放置すると、さらに歯を支える歯槽骨に負担がかかり、早晩、歯を失うことになるでしょう。
治療中
そこで治療では矯正歯科が中心となり、歯を失ったところにインプラントを埋入し、上部には仮歯を装着した後、マルチブラケット装置により咬み合わせを整えていきました(金属のかぶせ物をした歯や神経を抜いた歯も、矯正歯科治療で動かすことができます)。
治療後(76歳)
約2年の矯正歯科治療を経て、奥歯の咬み合わせが改善されたことで咬合高径(こうごうこうけい/咬み合わせの高さ)が上がり、ものを嚙みやすい状態となりました。また下の歯列にはかぶせ物の治療をするための隙間を十分確保することができました。
ただし、もっと早くに矯正歯科治療を受けていれば、歯を必要以上失うことなく、より満足のいく治療ゴールが設定できたと思われます。
不正咬合の改善は、口の中の健康維持に役立ちます。しかしその一方、長年、口腔内の問題を放置しておくと治療計画が複雑化し、また矯正歯科治療以外に、インプラントや補綴治療などを併用することとなり、治療期間や費用が多くかかってしまいます。
歯周病やむし歯の予防に役立つ矯正歯科治療は、究極の予防歯科です。
8020を達成するためにも、早めに矯正歯科を受診することをおすすめします。
50代半ばまでに矯正歯科治療を受け、
8020達成を目指しましょう!
次にご紹介するのは、50代で矯正歯科治療を開始した二人の患者さんの例です。一人は2023年現在80歳で、みごとに8020を達成したBさん、もう一人は現在77歳で達成がほぼ確実なCさんです。
53歳で治療を開始し8020を達成したBさん(80歳)
主訴:反対咬合
治療前(53歳)
下顎が前に出た「骨格性下顎前突」で、下顎は小臼歯から前に空隙があり、右側の犬歯(前から3番目)から左側の第1小臼歯(前から4番目)までの7本が完全に「反対咬合」になっていました。
治療開始から約2年半
矯正歯科治療によって歯列が整い、隙間はなくなっています。また、咬み合わせが逆だった右側の犬歯から左側の第1小臼歯までの7本の歯のかぶさりも改善されました。
治療後(58歳)
約4年半かけて歯を動かした結果、前歯の正中線(上下の前歯の中心線)が一致し、1歯対2歯(犬歯から奥の歯が、上顎の歯1本に対して下顎の歯2本の割合で咬み合っている状態)の緊密な咬合状態が達成できています。
治療後9年(67歳)
デコボコや隙間もなく、よい状態を維持できています。補綴物や充填物も大きな問題は生じていません。歯肉も引き締まったピンク色で、歯周組織も健全であることが推察されます。現在80歳のBさんは、今も健全な歯周組織を維持しています。
治療後のBさんの言葉
「治療してからは以前のように手で口もとを隠さなくてよくなり、話していても唾が飛ばなくなりました。友達と温泉に入ると、皆に「入れ歯を外しなさい」と言われますが、『これ、みんな自分の歯よ!』と自慢しています」。
お顔立ちの変化をみてみましょう
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治療前(53歳)
治療前は、お顔立ちからしても下顎が前に出ていることがわかります。
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治療終了時(58歳)
矯正歯科治療では下顎を時計回りに少し回転させたため、オトガイの突出感が改善されています。
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治療後4年(63)
動的治療の終了後、咬み合わせを安定させるための保定期間に入っています。63歳になられましたが、むしろ初診時よりも若々しい印象です。
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治療後9年(67歳)
さらにその4年後。口もとも変わりありません。
52歳で治療を開始し、達成がほぼ確実なCさん(77歳)
主訴:開咬
治療前(53歳)
正面から見ると、奥歯を咬み合わせても上下の前歯が咬み合わない「開咬」の状態。舌で上下の前歯を押す癖があるため、前歯が唇側に傾斜して「空隙歯列」になっていました。また舌が正常な位置より低い位置にある「低位舌(ていいぜつ)」のため、口腔周囲筋の使い方のトレーニング(MFT)を行ってから矯正歯科治療に入りました。
治療開始から約1年半
矯正歯科治療によって上下の前歯の隙間を閉じることができ、上の歯が下の歯にかぶさるようになりました。
治療後(55歳)
2年3か月の治療期間を経て、口もとが改善されています。MFTを行ったことで、舌で前歯を押す癖もなくなりました。
治療後13年(68歳)
唇を自然に閉じることができ、治療直後と変わらない安定した咬み合わせを維持できています。補綴歯(かぶせ物の歯)も含め、28本すべての歯が残った状態で、77歳になった今も矯正歯科を受診されるなど、口腔内の衛生管理にはとても熱心です。
治療後のCさんの言葉
「よく噛めるようになって、ご飯がおいしく食べられるようになりました。先生にはすごく感謝しています。矯正歯科治療をして本当によかった」。
お顔立ちの変化をみてみましょう
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治療前(52歳)
前歯が突出しているため、横顔では口もとの突出感が認められ、唇にも“もったり”とした印象があります。
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治療終了時(55歳)
矯正歯科治療により、口もとの突出感が改善され、唇を閉じた際、口もとがやや引き締まってみえます。
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治療後3年(58)
動的治療の終了後、咬み合わせを安定させるための保定期間に入っています。よい状態を維持しています。
いかがでしたか?
矯正歯科治療は歯を支える歯槽骨や歯肉などに問題がなければ、いくつになっても受けることができます。しかし、中高年は歯や歯周組織に問題のあることも多いため、まずはその治療を優先し、時には一般歯科と連携を取りながら治療を進めることとなります。そのため、治療期間や内容が複雑になりがちで、費用も多くかかってしまいます。
矯正歯科治療は見た目の改善と咀嚼機能の改善以外に、自分の歯を残すことを目的として行う医療です。中高年でも治療は可能ですが、治療開始は早いほうがよいでしょう。
厚生労働省の歯科疾患実態調査では55歳を超えると歯数の減少が進行することが示されています。つまり、50代が8020達成の大きな分かれ目になります。
歯並びや咬み合わせが気になる人は、50代半ばまでに矯正歯科治療を受け、8020を達成しましょう。