vol.33 「顎矯正手術を併用する矯正歯科治療」の実際
矯正歯科専門開業医の全国組織である公益社団法人日本臨床矯正歯科医会(会長:陶山 肇)では、2023年5月22日(月)、メディア各社に向けて「顎矯正手術を併用する矯正歯科治療」と題したセミナーを開催しました。今回はその内容を踏まえ、同治療の実態についてご紹介します。(記事作成 2023年7月17日)取材・文:冨部志保子(編集・ライター)
矯正歯科治療+外科手術=外科的矯正治療
顎変形症とはどんなもの?
矯正歯科治療には、歯にマルチブラケット装置を装着する動的治療に外科手術を組み合わせる方法があります。それが今回のテーマである「顎矯正手術を併用する矯正歯科治療」(以下、外科的矯正治療)です。
この方法がとられるのは、患者さんが「顎変形症(がくへんけいしょう)」と診断された場合です。顎変形症とは、上下の顎の骨の大きさ、形、位置のバランス異常による顔の変形と咬み合わせの異常(不正咬合)がある状態をいいます。
顎変形症になる原因は様々あり、遺伝などの先天的な要因のほか、ケガや指しゃぶり、口呼吸など後天的な要因も少なくないとされています。多くの場合、幼少期にははっきりとした異常は現れず、顎が急成長する思春期の時期に症状が明らかになります。
顎変形症では「前歯でものを噛み切る」という歯本来の機能が損なわれていることが多く、さらに骨格の不調和によって顔が曲がる、顎がしゃくれる、顎がないなど、見た目のコンプレックスにもつながりがちです。
顎変形症の主なパターン
まず、顎変形症の代表的な症例をご紹介しましょう。
骨格性下顎前突(こっかくせいかがくぜんとつ)
左は、下顎が大きく前に出て上顎が後ろに下がった「骨格性下顎前突」といわれるケースです。この方の場合、オトガイ(下顎の先)が前突していて、上下の前歯は受け口(反対咬合)になっています。
上の3枚の写真のうち左が正常な咬合で、中央と右が反対咬合(受け口)です。中央のように上下の歯の被さり方だけが逆の反対咬合は矯正歯科治療のみで歯の向きや位置を改善することで正常咬合を獲得することが可能ですが、右のように顎骨に変形があり、上下の歯の位置関係の不調和が大きすぎる場合は、顎骨の位置や大きさを改善する外科的矯正治療が必要となります。
このほか、顎変形症には「骨格性上顎前突(上顎が著しく前方にある、あるいは下顎が著しく後退していることによる出っ歯)」や「顔面非対称(顔が左右のどちらかに曲がった状態)」、「骨格性開咬(上顎に対して下顎が著しく後下方に位置していることで上下の前歯に垂直的な隙間がある状態)」などがあります。
口腔外科とのチーム医療で進む外科的矯正治療
外科的矯正治療は、矯正歯科と口腔外科(もしくは形成外科)とのチーム医療となります。また、外科手術によって上下の顎を生理学的にもっともよい位置に動かすことを前提に、術前と術後に矯正歯科治療を行うなど、通常の矯正歯科治療とは治療の流れが異なります。
1診察・検査・診断
矯正歯科で精密検査を行います。正面・側面からのセファログラム(頭部X線規格写真)(※)を用いて、上下顎のずれや口腔内および顔貌の状態を総合的に分析します。※顔面と頭部のX線画像のこと。診断を正しく下すために必要不可欠な検査で、上下顎の大きさやずれ、顎や唇の形態、歯の傾斜、口もとのバランスなどの状態を正確に知ることができます。
2治療計画・カンファレンス
矯正歯科での診察・検査・診断を経て、矯正歯科医が矯正歯科治療だけでの改善が難しいと判断した場合、外科的矯正治療の適応となります。この段階で矯正歯科と口腔外科(あるいは形成外科)が合同カンファレンスをもち、治療計画の相談やすりあわせを行います。
3術前矯正治療(約1年半)
手術によって目標とする咬み合わせが得られるように、矯正歯科でマルチブラケット装置を装着して歯列のデコボコの改善や上下前歯の傾斜の補正、上下歯列の幅の調整を行います。なお、手術による顎移動を視野にいれた矯正歯科治療のため、この段階では一時的に咬み合わせが悪くなり、噛みにくくなります。
※術後の良好な咬み合わせを目指すため、手術直前は一時的に咬み合わせが悪くなり、噛みにくくなる。
4術直前カンファレンス・手術前検査
矯正歯科と口腔外科(もしくは形成外科)で術前の綿密な打ち合わせを行い、顎の移動位置を決定します。それに対して患者さんに確認した後、外科処置をする医療機関で術前検査(心電図、血液検査、尿検査、胸部X線検査撮影など)と自己血貯血(手術中の出血に備えて自分の血を採って貯めておくこと)などの処置を行います。
5入院・顎矯正手術(1~2週間)
手術方法や医療機関によって入院期間は異なるものの、外科処置をする医療機関に1~2週間入院し、全身麻酔で手術を行います。多くの場合、手術直後はチタンのプレートで移動した顎を固定し、顎間関係の安定を図ります。入院中の食事は流動食から全粥となります。
6術後矯正治療(約1年)
手術で移動した顎の位置で上下の咬み合わせを整えます。なお、手術の際にプレート固定を行った場合は、術後半年~1年ほどで口腔外科(もしくは形成外科)にてプレートを撤去する手術を行います(生体内に自然に吸収されるプレートを使用する医療機関もあり)。
7保定観察
咬み合わせが安定したら、矯正歯科でマルチブラケット装置を取り外し、移動した位置で歯が安定するように保定装置を用います。保定観察期間は治療前の状態や治療法などによって異なりますが、約2年は毎日保定装置を使用することになります。
外科的矯正治療には健康保険が適用される
1990年より、外科的矯正治療には健康保険が適用されることになりました。そのため、自己負担は3割となり、矯正歯科治療費は術前後を合わせて20~30万円前後。入院・手術費用は下顎のみの手術で20万円前後、上下顎の手術で30~40万円前後。つまり、健康保険適用での顎変形症治療にかかる費用は、概算で40~70万円程度となります。なお、入院と手術の費用には、高額療養費制度(※)が適用されます。
※医療費の家計負担が重くならないよう、医療機関や薬局の窓口で支払う医療費が1か月(歴月:1日から末日まで)で上限額を超えた場合、その超えた額を支給する制度。
ただし、健康保険の適用には次のような条件があります。
- 1顎変形症と診断され、矯正歯科治療と併用して外科手術を行うこと
- 2「顎口腔機能診断施設」の指定を受けた医療施設で矯正歯科治療を行うこと
- 3矯正歯科治療、外科手術ともに健康保険の適用範囲内で行い、混合診療をしないこと
矯正歯科の立場からみた顎変形症治療
顎変形症(下顎前突)を矯正歯科治療のみで治したAさんの場合
治療前(22歳)
Aさん(女性)は上顎前歯が下顎前歯よりも内側に入った反対咬合でした。
右側の下顎第一大臼歯(前から6番目)が上顎第一大臼歯よりも小臼歯1本分前方にずれていて、それに伴い下顎の正中(歯列の真ん中)も左へ約1本分ずれていました。
上下とも前歯部には叢生(そうせい/デコボコ)も認められました。下顎には左右とも親知らず(第三大臼歯、前から8番目)も萌出していました。
初診時の口腔内
初診時の顔貌
初診時の顔貌は唇からオトガイまでの下顔面が長くオトガイが突出していましたが、左右の著しい非対称は認められませんでした。
セファログラムを見ると、日本人の平均的な骨格(青線)に比べ、下顎が大きく前方に位置している(赤線)ことがわかります。
治療中(22歳)
マルチブラケット装置を装着して治療を開始しました。
その際、上顎には上顎歯列の幅を拡大するために「トランスパラタルアーチ(上顎の左右大臼歯を固定する装置)」を装着。その6か月後には、下顎を効率的に後ろに移動させるため、下顎の頬側に「歯科矯正用アンカースクリュー(歯肉の上から歯槽骨にねじ込む歯科用のねじ)」を埋入しました。
治療後(23歳)
1年7か月の動的治療を終え、マルチブラケット装置を取り外しました。
上下とも叢生のない左右対称のアーチに仕上がりました。すべての歯において上の歯が下の歯の外側に覆い被さる、正常な被蓋を獲得することができました。また下顎右側の臼歯が後方に移動したことで、上下の正中を一致させることができました。
矯正歯科治療終了時の口腔内
矯正歯科治療終了時の顔貌とセファログラム
治療前後を比べると――
治療前と比べると上下の歯列はなめらかなU字形を描くようなりました。しかし、顎骨は移動していないため、上下顎のアンバランスは改善されていません。
矯正歯科治療には、「カムフラージュ治療」というものがあります。これはその名の通り、骨格的問題はそのままにして、歯のみを動かして咬み合わせを整える治療のことです。
下顎が大きく前方にある下顎前突の場合、上顎前歯を前方に、下顎前歯を後方に傾斜させることで咬み合わせを改善しますが、下顎骨そのものの大きさを小さくしたり後退させたりすることはできません。むしろ下顎前歯が後方に傾斜することで、下唇も後退し、オトガイが目立つようになることもあります。
Aさんの場合も、オトガイの突出が強調される結果となりました。
顎変形症(下顎前突)を外科的矯正治療で治したBさんの場合
治療前(18歳)
Bさん(女性)の咬み合わせは、左側臼歯部が交叉(こうさ)咬合(上下の歯を咬み合わせたとき、上の歯の外側に下の歯が咬み合う状態)で、上下の歯列の幅にも不調和が認められました。また、もともと下顎の前歯が1本欠損した状態でした。
初診時の口腔内
セファログラムを見ても、やや後退した上顎に対して下顎は著しく前に出ており(赤線)、上下顎の位置の不調和を補償するように下の前歯が内向きに傾斜しているのがわかります。
このように骨格的なずれを歯が傾きによって補償している状態を「デンタルコンペンセーション(歯性の補償)」といいます。
下顎前突の場合、上の前歯は前方に、下の前歯は後方に傾き、お互いに咬み合おうとします。こうしたデンタルコンペンセーションが生じることで、実際よりも不調和が軽く見える場合があります。
初診時の顔貌
顔貌は、下顎が少し左側にずれ、オトガイが突出しています。
このケースは矯正歯科治療だけで改善するには限界があります。
そこでBさんの同意をもとに外科的矯正治療を行うことになりました。
術前矯正(19歳)
術後に歯が咬み合うように上下歯列の幅のコントロールを行うと同時に、上下の歯の角度を正しくするため、術前矯正治療では上の歯を後方に、下の歯を前方に移動させました。Bさんの場合は上顎の小臼歯を2本抜歯し、下顎はもともと欠損していた下の前歯1本分のスペースを拡げます。このスペースは矯正歯科治療終了後に補綴(ほてつ/被せものやインプラントなど)処置を施す予定です。その結果、手術前の段階では一時的に咬み合わせが悪くなり、噛みにくくなっています。
手術直前の口腔内
手術直前の顔貌とセファログラム
術後矯正(20歳)
手術後10日経った状態で、咬合を仕上げるための術後矯正が始まりました。
手術後10日の口腔内
手術後10日の顔貌とセファログラム
手術後10日の段階では顔貌に手術の腫れがまだ残っていますが、上下歯列の前後的位置はよいバランスに収まっています。
矯正歯科治療終了(21歳)
約1年の術後矯正を経て、マルチブラケット装置を取り外しました。上下顎のバランスがとれ、歯列がすっきりと収まっています。
矯正歯科治療終了時の口腔内
矯正歯科治療終了時の顔貌とセファログラム
顔貌のバランスも整っています。
治療前後を比べると――
顎のかたちの変化は一目瞭然。
もちろん、見た目だけではなく、外科的矯正治療によって歯槽骨上の理想的な位置に歯を並べたことで、咬み合わせが安定しました。歯や骨に負担がかからないことで、将来的な歯周病のリスク回避にも役立ちます。
顎変形症だと思った場合の受診方法
歯学部のある大学病院、公的病院、もしくは指定を受けた矯正歯科へ
では、顎変形症について相談したい、治療を受けたいと思った場合、どこに行けばよいのでしょうか?
医療施設への受診方法には次の3つがあげられます。
- 1大学病院の矯正歯科か口腔外科を受診
- 2公的病院の口腔外科を受診
- 3「顎口腔機能診断施設」の指定を受けた矯正歯科医院を受診
歯学部のある大学の附属病院は矯正歯科と口腔外科が連携して治療を行っています。また口腔外科の診療を行っている大学付属病院や公的病院なら、多くの場合、矯正歯科との連携をとっているので安心です。また、地元の矯正歯科医院を最初に訪ねるなら、「顎口腔機能診断施設」の指定を受けているかどうかを確認しましょう。前述のとおり、同施設の指定を受けた矯正歯科医院で、一定の条件を満たしたうえで外科的矯正治療を行うと、健康保険の適用となります。
「顎口腔機能診断施設」の指定を受けた矯正歯科医院を自分で調べるには、各地方の厚生局のホームページが役立ちます。同ホームページには届け出を出している医療機関の一覧があり、その中の歯科のリストから「顎診」とある、通いやすい施設を探してください。
もっと簡単に「顎口腔機能診断施設」の指定を受けた矯正歯科医院を調べるなら、公益社団法人日本臨床矯正歯科医会のホームページがおすすめです。
トップページ上部にある「会員医院検索」をクリックし、飛んだページの中程にある検索窓のプルダウンメニューから「顎口腔機能診断施設」を選んで検索ボタンを押すと、届け出をしている全国各地の267医院のリストが現れます。その中から通いやすいところを訪ねてみるとよいでしょう。
いかがでしたか? 上下顎のアンバランスを整え、その位置で咬合を改善することは長期安定する咬み合わせをつくり、噛む機能を向上させます。また、顔の変形が改善され、審美的な変化も得られることから気持ちも明るくなるでしょう。
ただし、移動できる骨の量には限界があります。
顎のゆがみが気になる人は、歯学部のある大学病院、口腔外科のある公的病院、もしくは指定を受けた矯正歯科医院を受診して相談してください。